伴さんは三重県の出身で、早稲田大学を卒業後、1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故をきっかけに脱原発を目指す運動に参加しました。
1990年からは非営利の調査研究機関「原子力資料情報室」のスタッフとなり、1998年からは共同代表を務めてきました。
2000年代以降は国の原子力政策の基本方針を策定する原子力委員会の専門家会議や、エネルギー政策に関する経済産業省の審議会などの委員を務め、批判的な立場から発言してきました。
また、福島第一原発の事故のあとは、風評被害の懸念を理由に処理水の放出に反対するなど事故対応について提言を続けてきたほか、最近まで各地の市民集会で講演するなど精力的に活動していました。
「原子力資料情報室」によりますと、伴さんはがんを患い、ことし3月から療養中でしたが10日、都内の病院で亡くなったということです。72歳でした。
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