5月末、東京都庁(新宿区)近くの食品配布会で出会った男性(63)を訪ねた。生活保護を利用しながら、東京都豊島区のアパートで1人暮らししている。物価高でおかずは買えず、もう10日間ほど食事は炊いたご飯だけ。「これ以上は切り詰められない」。そう言いながらコーヒーを出してくれた。(中村真暁)
アパートの6畳部屋で静かに筆を握る男性=東京都豊島区で
「毎日の取材大変だろうと思いますが、御身体を大切にして下さい」。話を聞く前に渡された便せん10枚の手紙には、達筆な文字で記者への気遣いが記され、誠実な人柄が伝わってきた。 マッチ生産量が日本一の兵庫県出身。高校卒業後はマッチ箱の印刷会社に就職したが、工場の化学物質で体調不良となり、半年ほどで退職した。その後、東京や大阪の建築現場や食品工場で働いた。 15年ほど前、建築現場で足場材が頭上に落下した。首に当たり、骨の配列がバラバラになる大けがを負ったが、会社は労働基準監督署に労災報告をしなかったようだ。けがの後遺症で体は思うように動かず、事故の恐怖で働けなくなった。◆労災、野宿…転機は教会で
野宿生活となり、東京や大阪、福岡などを転々とした。生活保護の申請で役所へ行ったこともあったが、望まない施設に入れられたり、威圧的な態度で追い返されたり。「自分なんてできそこない。生まれて不正解だった」。夜は街を歩き、昼は仮眠する生活を送り、そんな思いを強めた。 転機は12年ほど前。通っていた教会で、牧師が真剣に話を聞いてくれた。「全てうまくいく人なんていない。怒ってもいい」。そう肯定されたのは初めてだった。怒りっぽい性格が、丸くなるのが分かった。 2年前に支援団体とつながり、生活保護の利用を始めた。ケースワーカーは相談するとすぐに対応してくれ、感謝している。「生活保護のイメージが変わりました。今はいい制度だと思います」 書道教室を開いていた祖母と母の影響で、3歳から書道をしてきた。6畳の部屋で、静かに筆を握る。教会の催しに文章を書いたり、出会った人に手紙を送ったり。「私にとっては特別な時間。命ある限り書き続けたいです」 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。