◆「変わり果てた職場「ただただ呆然と」
3月下旬、谷口の木工所で1台のフォークリフトが動き回っていた。「あそこの1階では製品を磨く作業をしていました」。寺田和樹さん(38)は崩れた建物の方向を指さした。 寺田さんが工場兼倉庫の被害を知ったのは地震発生から5日後。その間、会社や先輩の職人とは連絡がつかなかった。町内にある妻の実家に身を寄せていたが、工場の状況を確かめに向かうと、職場は変わり果てていた。「言葉が出なかった。ただただ呆然(ぼうぜん)とした」◆見通せない再建、辞職決める仲間
全壊した工場兼倉庫で木材を片付けに励む寺田和樹さん=石川県穴水町川島で
しばらくして会社や他の先輩と連絡が取れ、他の5人の職人らの無事に安心した。一方で、町外に避難した4人が辞職を決めるか、辞める意向と知った。工場が全壊し、再建時期も見通せない。そうした状況で、高齢の職人が職場を離れるのも仕方がないと思った。 2022年11月に鉄工所勤務から転職した寺田さん。祖父がおけを作る職人、父が輪島塗の職人で、幼少期から木やかんななどの道具に囲まれて育った。自然にある物を生かし、思い描いた物を作る。そんな仕事が楽しくてたまらなかった。工場では一番の若手で熟練の職人たちも寺田さんに優しく技を教えてくれた。 入社から1年ほどたち、一部の仕事を1人で任されるようになった。子ども用椅子と絵本立ての製品化も提案。年明けに出荷を控えていた商品は、地震で全て建物の下敷きになった。◆クラウドファンディングで資金募る
谷口正晴社長によると、地震後、穴水町を離れることも検討したという。ただ、寺田さんの「穴水でやらせてください」という真っすぐな言葉に、77年続けてきたこの場所での再開を第一に考える決断をした。CFへのQRコード
再建資金を募るインターネットでクラウドファンディング=QRコード=もしている。「思うように作業が進まないとき、支援者の方の一人一人の気持ちが力になっている」と寺田さん。「この苦境をバネにして、いつでもスムーズに仕事ができるよう技術を磨いておきたい」と話した。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。