戦前に日本の統治下にあった北マリアナ諸島のサイパンやテニアンなど南洋群島と呼ばれた太平洋の島々には、沖縄県を中心に多くの日本人が移住していました。

しかし80年前の1944年に行われた日米間の激しい戦闘で、沖縄県出身者5万人のうち犠牲者は1万3000人に上ったとみられます。

遺族などは、犠牲者を慰霊するためほぼ毎年、現地を訪れていて、ことしも5月30日から6月3日まで訪問することになり、30日に那覇空港で出発式が行われました。

参加するのは、途中で合流する人を含めると20歳から93歳の37人で、高齢化のため現地での戦闘を生き残った人は少なくなっている一方、ことしは犠牲者の孫やひ孫に当たる若い世代の中に初めて参加した人もいるということです。

名護市の与那城春子さん(93)は「父、兄、弟、妹がみんな亡くなりました。現地には6回行きましたが、もう最後だと思います」と話していました。

与那城さんの孫で今回初めて参加する仲本善樹さん(51)は「おばあちゃんは足腰が弱くなってるので心配になって付き添いとして初めて参加します。自分の子どもたちに伝えられることがあればと思います」と話していました。

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