◆川口、蕨が排斥デモや街頭宣伝の舞台に
「蕨はレイシズムに反対する」という意味のカードを掲げ、デモに抗議する女性=26日、埼玉県のJR蕨駅周辺で
「不良外国人は日本から出て行け」「クルド人は母国へ帰れ」。26日午後、埼玉県川口市のJR蕨駅周辺。拡声器を手に、10人弱の男女がクルド人の排除を訴えて練り歩いた。 男女の周囲は県警の警察官が二重三重に警備。さらにその周りを、抗議する「カウンター」の市民ら数十人が取り囲み「ヘイトデモ中止」と叫んで、デモ隊のコールをかき消した。 約2000人のクルド人が暮らすとされる、県南部の川口、蕨両市がいま、排斥デモや街頭宣伝の舞台となっている。◆デモ隊は一体どこから…他地域でも活動してきた人物
市民団体「川口の未来を創る市民の会」によると、クルド人へのデモが最初に計画されたのが昨年10月。ただこの時は、反対する市民が集まって中止に追い込んだ。以降、デモ隊を県警が厳重に守るいびつな形に。デモや街宣は今春以降、数が増え、5月は3週連続で日曜日に行われた。 主催しているのは、ヘイトスピーチを繰り返してきた「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の派生団体や、その関係者などだ。これまでは在日コリアンが集住する川崎市などで活動してきた人物が、川口、蕨にも現れている。ヘイトスピーチを警戒する人たち=2023年10月、JR川崎駅前で
背景にあるとみられるのが、ヘイトスピーチを刑事罰付きで禁じた川崎市の差別禁止条例(2019年成立)だ。 ノンフィクションライターの安田浩一氏は「条例により、活動しにくくなった団体が転戦してきている」とみる。昨年の入管難民法の改正議論以降、ネットなどではクルド人へのヘイトが急増。こうした団体が、ネットに反応し「自分たちの差別的主張を繰り返すための新しい『ネタ』としてクルド人に飛び付いた」と分析する。◆「彼らの『敵』はころころ変わり、結局は誰でもいい」
安田氏によると、在特会は09年、蕨市で暮らしていたフィリピン人一家の国外追放を求めるデモを行い、勢力を伸長させた。その後も、川口市内で2万人以上が暮らす中国人らへのデモを、同会関係者らが行ってきた。在日コリアンへのヘイトもしかり。「これまでの経緯を見ればよく分かる。彼らの『敵』はころころ変わり、結局は誰でもいい。差別をあおりたいだけだ」 川口市内の30代のクルド人の男性は「突然、犯罪者扱いされ、悲しい。日本の友人が信じてしまわないか、小学生の子供がいじめられないか不安」と漏らす。◆「まさかその言葉がトイレの外に出るとは」
ヘイトスピーチを警戒する市民や、警察官で騒然とする現場=2024年1月、新宿駅東口で
連日のデモでは、カウンターの市民も各地から集まっている。当事者としてこれまで川崎に通ってきた千葉県市川市の在日コリアン2世の男性(61)もその1人。「小さいころから、私たちに対して、トイレの差別落書きはあったが、まさかその言葉がトイレの外に出て、ヘイトデモのようなひどいことになると思わなかった。人ごとではない」と述べた。26日のデモでは、差別的な言葉であおられてデモ隊に詰め寄ろうとするクルド人がおり、必死に止めたという。「止めるのがつらかった。この気持ち分かりますか」 市民の間では、川崎市にならって、差別禁止条例を求める動きも起きている。有志で結成した「埼玉から差別をなくす会」のメンバーで会社員の中島麻由子さん(39)は「あまりにも異常な状況で怒りがあるが、法的な根拠がなければ止めるのは難しい。埼玉にヘイトを持ち込ませるのを防ぎたい」と訴える。◆「ヘイトデモはかなり減った」
ヘイトスピーチ解消法は2016年5月、各地で頻発した在日コリアンらに対するヘイトデモを契機に、議員立法で成立した。外国にルーツがある人に対する不当な差別的言動を「許されない」とし、国や自治体は差別解消に取り組む責務を負った。「祖国へ帰れ」というネット上の表現が解消法の差別にあたり違法と裁判で認められ会見する在日コリアンの崔江以子さん(右)と師岡弁護士=2023年10月、川崎市内で
ヘイト問題に詳しい師岡康子弁護士は「解消法の施行で、警察や自治体の姿勢は変わった。団体がデモを届け出ると、警察が『ヘイトスピーチはできない』と指導するようになり、ヘイトデモはかなり減った」と評価する。 ヘイト団体の活動を監視するウェブサイトによると、23年のデモは12件と、解消法施行時より、3分の1以下に減少。「差別を違法」とし、差別的言動に多額の賠償を認める判例も増えてきたという。 一方で、街宣や、ネット上の差別的書き込み、公人の差別発言は今も続く。クルド人への差別は埼玉だけではない。東京都は昨年、初めてクルド人に対する街宣を、都人権尊重条例に基づきヘイト認定した。 師岡氏は、在日コリアンが多く住む京都・ウトロ地区への放火事件(21年)などを挙げて「ネット上のデマを信じたヘイトクライムも起きている。理念法にとどまる解消法の限界だ」と指摘。差別を禁止する法律の制定や、政府から独立した人権機関による被害者の救済が急務だと訴える。◆「日本の反人権的な風土が足かせに」
解消法を出発点に、各地で反差別条例を制定する動きもあるが、地方自治研究機構(東京)によると、今年3月時点で、ヘイトスピーチの禁止と違反者の氏名や概要を公表するなどの抑止措置を定めた条例を制定したのは、先述の川崎市や東京都など、全国でわずか9自治体。差別解消や禁止のみをうたった条例を含めても、制定は計25自治体にとどまる。相模原市人権尊重のまちづくり条例案を可決した市議会=2024年3月
反ヘイト条例の制定が進まない背景について、法政大の金子匡良教授(憲法学)は「人権政策や反差別という言葉が、日本では政治的に扱われる。保守勢力が多数を握る地方の自治体では、『積極的に推進するものではない』という意識が強く、首長や議会が動かない」と推察する。 金子氏は、差別意識に基づく殺傷事件が起きた障害者施設「津久井やまゆり園」のある相模原市で、条例制定に向けた人権施策審議会の委員を務めた。審議会は昨春、差別的言動の禁止対象を人種や民族のみならず、障害や性的指向などに広げ、被害者の救済や差別事案の独自調査を担う独立的な機関を設けるよう答申した。しかし、今年3月に市議会で可決された条例案に、これらの答申の趣旨は反映されなかった。 市に抗議して委員を辞した金子氏は「実効性が弱められた条例案さえ、市議会の保守勢力は批判した。人権政策と政治思想は無関係なはずだが、日本の反人権的な風土が足かせになっている」と嘆く。◆「日頃の小さな差別や偏見に、国民一人一人が言論で対抗を」
西南学院大の奈須祐治教授(憲法学)は「欧米の先進国と比べて、ヘイトスピーチに対する日本の施策は甘く未発展だ。表現の自由への配慮は大事だが、少なくともヘイトクライムの扇動といった極端なヘイトスピーチは、罰則付きで規制する必要がある」と話す。 一方で、国や自治体だけでなく、国民一人一人の取り組みが大切とも説く。 「差別表現が日常的に繰り返され、差別や偏見が容認される環境が構築されることがヘイトスピーチの問題だ。日本では、交流サイト(SNS)などでヘイトを後押しするコメントが流れても、批判する人がほとんどいない」とし、こう続ける。 「解消法3条は、差別的言動のない社会に寄与するよう、国民の努力を求めている。日頃の小さな差別や偏見に、国民一人一人が言論で対抗して、流れを変えていかないといけない」◆デスクメモ
解消法施行2日後の2016年6月5日。川崎市内で在日コリアン排斥をうたってきた団体のデモが数百人のカウンターに阻まれ中止された。生活の場を襲うヘイトが怖くて家にこもり、表札を出せない人もいた。蕨のデモを眺めていた外国人住民の不安げな瞳に、そのことを思った。(恭)
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