青森県南部町にある中世の城館跡で、史跡にもなっている「聖寿寺館(しょうじゅじたて)跡」から、鹿角製とみられるサイコロが出土した。これまでに円形のコマも発見されており、発掘調査をしている町教育委員会は、聖寿寺館で中世の東北武士が「双六(すごろく)」を行っていたとみている。
サイコロは中国から伝わり、日本書紀の689(持統3)年のところにも記載があるなど、日本との関わりは深い。中世の遺跡からサイコロが出土したのは県内では3例目で、コマとのセットは東北地方では初めてだ。
サイコロが見つかったのは聖寿寺館(しょうじゅじたて)跡。北東北最大の戦国大名・三戸南部氏の室町~戦国期における中心的城館で、奥州街道と鹿角街道の合流点付近の標高60~70メートルの丘陵にあった。1539(天文8)年、放火され焼失したと伝えられている。南部氏は甲斐源氏の流れをくむ南部三郎光行を祖とする一族で、鎌倉時代の末ごろから南北朝時代初頭までには東北地方に入部していたと考えられている。戦国大名として勢力を伸ばしたのに伴い、聖寿寺館から三戸城(三戸町)、福岡城(岩手県二戸市)へと居城を移し、江戸時代には盛岡城(盛岡市)を築き、本拠地とした。
聖寿寺館跡は、これまでに約1万3千平方メートルが調査されており、大型の建物跡が複数確認されている。
サイコロは昨年8月、館跡北東部にある竪穴建物跡の埋土の中から発掘された。一緒に見つかった陶磁器などから、15世紀後半~16世紀前半のものとみられている。一辺1.2センチの正六面体で各面に1から6までの数を表す目が刻まれていた。
一方のコマは2015年、館跡の中心建物とみられる大型建物跡の真下から2枚見つかった。サイコロと同時期のものと推定され、直径1.8センチで厚さ4.5ミリの円盤状。中央部に直径1ミリほどの点が六つあり、色は白だ。
同遺跡では、これまでの出土品や文献などから、囲碁や聞香、連歌など多彩な遊びが行われていたことがわかっていた。今回サイコロとコマがセットで出土したことで、「城館内では双六が行われていた」と町教委。中世の武家の生活実態を解明する手がかりになる、という。(鵜沼照都)
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当時の双六は「盤双六」と呼ばれ、2人で遊ぶ対戦型のボードゲーム。複数人が競争してゴールをめざす現代で一般的な「絵双六」とは異なる。双方が持つ15個のコマを、盤にあるマス目の端から端へ、早く移動させた方が勝ちというのが基本だ。相手より先にすべてのコマをゴールさせた方が勝つ西洋の「バックギャモン」にも似ている。
サイコロを二つ振り、2個のコマを、さいの目に応じて動かす。マスに入れることができるコマの数が決まっており、相手の進行を妨害するのも重要な駆け引きになる。心理戦も不可欠で、史跡聖寿寺館跡調査整備委員会委員で東北史学会員の若松啓文さんは、相手の手を予測したりする駆け引きが「現代ならマージャンに似ている」と話す。
現代同様に「ゲーム中毒者」を生み出したり、賭博の対象となったりしてきたようで、日本書紀の持統3(689)年12月の条には「禁断雙六(すごろく)」との記述があるほか、鎌倉時代でも双六はばくちの筆頭にあげられ、幕府法で禁止になっていた。室町期以降も、例えば、戦国大名・伊達氏の領内法(塵芥集=1536年)では、しっかりと「禁止」が盛り込まれるなどしてきた。
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