Q.「核のごみ」って何?
Q.「核のごみ」の放射線量は?
Q.日本でも「地層処分」はできる?
Q.ほかに処分方法はないの?
Q.なぜはじめに処分方法を決めなかった?
Q.処分地はどうやって決める?
いわゆる「核のごみ」は、政府の資料などでは高レベル放射性廃棄物と呼ばれ、原子力発電に伴って発生する放射線を出す廃棄物のうち放射能レベルがもっとも高い部類のものを指します。原発の使用済み核燃料から再び燃料として使えるウランやプルトニウムを取り出す際に残る廃液を、溶かしたガラスと混ぜ合わせて固めて作られ「ガラス固化体」とも呼ばれます。なお、使用済み核燃料を直接処分する国では、使用済み核燃料そのものが「核のごみ」となります。
青森県にある再処理工場で作られる「ガラス固化体」は、直径がおよそ40センチ、高さおよそ1.3メートルの筒型で、重さは500キロほどあります。ことし3月現在、青森県と茨城県にあわせて2530体が保管されています。作られた直後は表面の温度が200度以上あり、放射線量は1時間あたり1500シーベルトと、人が防護なしに近づけば10数秒で死に至る極めて高いレベルです。このため、まず30年から50年ほど地上の施設で貯蔵され、放射線量が減衰するのを待ちます。
放射線量は50年後には10分の1程度になり、厚さおよそ20センチの金属製の容器で密封すると、容器の表面では1時間あたり2.7ミリシーベルト程度に下がります。1000年経つと容器の表面で1時間あたり0.15ミリシーベルト程度まで低下し、この段階では、1時間そばにいると医療機関で胸のエックス線検診を2、3回受けたのと同じ程度の被ばく量になります。最終的な処分では、さらに自然界に存在する天然の「ウラン鉱石」と同じレベルの0.06ミリシーベルト程度に下がるまで人間の生活環境から隔離することにしていて、これには数万年程度の時間がかかります。
2000年にできた「最終処分法」では、地下300メートルより深くに処分場を設け、「核のごみ」の放射能レベルが自然界のレベルに下がるまで、数万年にわたって閉じ込める処分方法が定められています。
これは「地層処分」と呼ばれ、原子力を利用する世界各国でも最終処分の方法として採用されています。地下深くに埋める理由としては、人間の活動や自然災害の影響を受けにくいことや、酸素が少なく、物がさびるなどの化学変化が起こりにくいこと、一般的に地下水の動きが年間に数ミリ程度と遅いため、万が一、放射性物質が漏れても影響が広がりにくいことなどが挙げられています。
日本で「地層処分」が可能かどうかについては、法律の制定に先立って、旧「動力炉・核燃料開発事業団」などが、1980年からおよそ20年をかけて行った調査結果をもとに、国の原子力委員会が、技術的に信頼性があることが示されたと評価しています。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の翌年の2012年には、日本学術会議が「最新の科学的知見により成立性を見直すべき」などとした提言を取りまとめましたが、経済産業省が設置した専門家会議は、2014年に「最新の地球科学的知見に基づいても、好ましい地質環境と長期安定性を確保できる場所をわが国において選定できる」とする報告書をまとめています。ただ、去年(2023年)10月にも、一部の地質学者などが、「地層処分」は安定した岩盤が多いヨーロッパなどを前提とした考え方であり、プレートの活動が活発で地震や火山活動が多い日本には「適地」はないなどとする声明を発表するなど、依然として日本での実施を疑問視する声もあります。
「核のごみ」を巡っては、原子力発電が始まった1950年代から、国際機関や世界各国で「地層処分」以外の処分方法も検討されてきました。
検討された主な方法としては、深い海底や海溝部に捨てる「海洋投棄」、南極などの氷の下に処分する「氷床処分」、宇宙にロケットなどで打ち上げる「宇宙処分」があります。しかし、このうち「氷床処分」については、1961年に発効した南極条約で、「海洋投棄」については1975年に発効したロンドン条約により、それぞれ認められないことになりました。残る「宇宙処分」は打ち上げの信頼性やコスト面などの課題から、採用している国はありません。
廃棄物処分の「発生者責任」や「公平負担」といった考え方が広がる中、2001年に発効し、2003年に日本が締結した放射性廃棄物等安全条約で「発生した国で処分されるべき」という原則が規定され、海外に処分を委託することも難しくなっています。このほか、放射性物質に中性子などを当てて性質を変える「核種変換」によって、「核のごみ」に含まれる寿命の長い放射性物質を寿命の短いものに変えることで処分しやすくする方法も検討されていて、基礎的な研究が進められています。
日本では1966年から商業用の原子力発電が始まりましたが、その4年前から「核のごみ」の処分の検討が始まっていました。当初は海に捨てる「海洋投棄」が可能と考えられていて、1962年には、国の原子力委員会の専門部会が「国土が狭く、地震のあるわが国では最も可能性のある方式」だとする報告書をまとめています。しかしその後、国際的に環境保全の機運が高まり、1975年に発効したロンドン条約で「海洋投棄」が禁止されました。これを受けて原子力委員会の専門部会は海外での対策を調べ、1976年、「地層処分」に重点をおいて調査研究と技術開発を図るとする報告書をまとめました。この報告書では、2000年ごろまでに実証試験を行うことなどを通して処分方法の見通しを得ることを「努力目標」としました。しかし、1980年代に入り、試験を行う土地を決めるために各地でボーリング調査などを計画していることが明らかになると「将来の処分場の立地を想起させる」などとして地域から懸念の声が上がり、十分な調査はできませんでした。
日本で処分地の選定が始まったのは、2000年に「最終処分法」が制定されたあとでした。一方、海外では、特に北欧のフィンランドやスウェーデンで処分地の選定が先行し、1980年代前半までに地層処分を前提に実施体制を決め、1990年代にかけて処分地の選定を始めていました。
フィンランドでは2001年、スウェーデンは2009年にそれぞれ処分地を決めています。
2000年に成立した「最終処分法」では、「地層処分」を行う処分地の選定に向けて3段階の調査を行うことが決められました。調査は国の認可法人・原子力発電環境整備機構=NUMOが行います。
第1段階として、文献をもとに火山や断層の活動状況などを調べる「文献調査」で2年程度、次に、ボーリングなどを行い地質や地下水の状況を調べる「概要調査」で4年程度かかる見通しで、その後、地下に調査用の施設を作って、岩盤や地下水などの特性が処分場に適しているか調べる「精密調査」を14年程度で行う想定です。対象の自治体には段階に応じた交付金が用意され、初めの「文献調査」では最大20億円、次の「概要調査」では最大70億円が支払われます。このうち「文献調査」は、地元の自治体が応募するか国の申し入れを受諾すれば始めることができますが、「概要調査」に進むには、地元の市町村長だけでなく都道府県知事の同意も必要になります。制度上「地域の意見に反して先へ進まない」と定められていますが、調査の受け入れが議論された自治体では、「実際の処分場の建設につながる」という懸念から、受け入れを拒まれるケースもありました。
2000年に「最終処分法」が作られたあと、処分地の選定に向けた第1段階の文献調査を行う候補地の公募が始まりました。ただ、調査への応募を巡っては、自治体の議会で勉強会を開くなど検討の動きが表面化するたびに住民や周辺自治体などから反発を招き、断念するケースが相次ぎました。2007年には、高知県の東洋町が全国で初めて調査に応募しましたが、賛成派と反対派の対立のすえ、選挙で町長が落選し調査が始まる前に応募は撤回されました。
さらに、2011年の東京電力福島第一原発の事故の後は、調査の受け入れが表立って議論される機会はなくなっていきました。このため政府は2017年に、文献などをもとに火山や活断層の有無などを確認し、調査地点として好ましい、好ましくないといった特性で全国を色分けした「科学的特性マップ」を公表し、各地で説明会を開くなどしてあらためて理解を求めてきました。
こうした中、2020年に北海道の寿都町と神恵内村が調査への応募や受け入れを決め、全国で初めてとなる「文献調査」が行われた結果、ことし2月、次の「概要調査」に進めるとする報告書案がまとめられました。ただ、地元からは、処分地の選定が「北海道だけの問題」とならないよう、調査地域の拡大を求める声が上がっています。
政府は去年、最終処分の実現に向けた基本方針を8年ぶりに改定し、NUMOや電力会社と合同で、全国の自治体を訪問するなどして働きかけを強めています。ただ、去年9月には、長崎県対馬市の市議会が調査の受け入れを求める請願を採択したものの、市長が調査を受け入れない意向を表明するなど、調査地域の拡大は具体化してきませんでした。
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